輝度信号、色信号、水平、垂直同期信号、カラーバースト信号を1つの信号に合成した形で伝送、処理をする 複合映像信号のこと あらかじめ売買の値段条件を定めず、銘柄・限月および数量だけを指定して行なう売買注文。 このほか、 外為 形式なのに、『後漢書』に載せられている人物との重複(袁紹・荀ケら)が多く、また王朝建国前に死亡した人物を掲載しているのはおかしい」という意見もある。これは断代史の定義からすれば一理はあるが、この定義を杓子定規に用いると王朝建国の過程や政権中枢で建国に携わった重要人物(魏の郭嘉・夏侯淵、蜀漢の関羽・?統、呉の周瑜・魯粛など、新王朝にとっては建国の功臣であるが、後漢王朝に対して功績を挙げたわけでないため先物取引 に載せる事も出来ない者)を省くことになってしまい、これでは却って紀伝体としての体裁を損なってしまうという反論もある。なお、重複した人物はほとんどが後漢にとっても重要人物であるが、荀ケだけは范曄の判断で、曹操の簒奪に反対した漢の忠臣であると評価されて『後漢書』に伝が載せられたものである。 外国に関する記事に関して、魏に朝貢した北方や東方、西方の民族の記事は存在するものの、蜀漢や呉に朝貢していた可能性が高い南方の異民族の国々については伝が立てられていない。たとえば、192年に南方で区連が後漢に反旗を翻し、投資信託 を建国した。子孫は呉に朝貢したが、これらの記事は『三国志』には一切見られない(『晋書』では「四夷伝」に林邑の項目があり、そこで触れられている)。ただ、これはあくまでも魏を正統であり、蜀と呉はあくまでも地方政権としての扱いなので書けなかったという事情がある。 日経225と『三国志演義』 後に講談などから発展して作られた通俗小説である『三国志演義』が日本では「三国志」として流通し、また作家吉川英治が演義を元にして著した小説『三国志』があまりにも有名になったため、日本の三国志愛好家の間では、『三国演義』やそれにもとづいた文学作品を『三国志』あるいは『演義』、歴史書の方を『正史(あるいは『正史三国志』)』(ただし、正史とは王朝が正式に認定した歴史書の事で、『三国志』だけを指している訳ではなく、『史記』や『漢書』なども正史と呼ばれる)と呼び分けることがある。この経緯についての詳細は、三国志の記事を参照されたい。 以下は、注釈に見られる参考文献である。裴松之は他の文献から引用した記述によく批評を加えている。それぞれについて記述の信憑性に格差があり、陳寿による本編とは分けて考えるべき部分がある。 FX - 孫盛著。孫盛は東晋の人。異説集らしい。孫盛は人物評でもたびたび引用されている。ただし、話を盛り上げるために勝手に台詞を創作したといわれている。たとえば、曹操が呂伯奢の子供たちを誤って殺したあと、「寧ろ我れ人に負くも、人をして我れに負くこと毋からしめん(たとえ自分が他人を裏切ろうとも、他人が自分を裏切ることは許さない)」と言ったとあるのだが、この台詞は同じ事件を記録した先行文献(王沈らの『魏書』、郭頒の『世語』)には無く、本書で初めて現れているのである。 高島俊男によると、台詞の創作や他の文献からの転用は、陳寿も含め多かれ少なかれ行っているという。しかし、孫盛は他の歴史家と比べてもそれが露骨であり、陳泰の発言では裴松之にも指摘されている。 『英雄記』 - 王粲他編『漢末英雄記』のことらしい。後漢末の群雄について書かれている。 『益部耆旧伝』 - 陳寿著。益州の人物伝。 『華陽国志』 - 常據著。漢代から晋代までの巴・蜀の歴史。孟獲の「七縦七擒」の逸話など。現存する。 『後漢紀』 - 袁宏著。袁宏は西晋の人。現存する。 『漢書』 - 華?著。華?は華?の孫。後漢の歴史。皇后を本紀として扱ったのが特徴。 『漢晋春秋』 - 習鑿歯著。習鑿歯は東晋の人。蜀漢正統論を説き、蜀漢から晋へ正統を続けている。後世に大きな影響を与えたが、手放しで蜀漢を絶賛しているわけではない。 『魏氏春秋』 - 孫盛著。編年体の魏の歴史書。 『魏書』 - 王沈・荀・阮籍編。魏の末期に成立したが、西晋を建国することになる司馬一族におもねっているため、信憑性は低いという。 『魏都賦』 - 左思著。『三都賦』の一部。 『魏武故事』 - 作者不明。魏の武帝(曹操)時代の政府の慣例・布告などを集めたものといわれている。 『魏末伝』 - 作者不明。魏末期の事件を記す。 『魏略』 - 魚豢著。『典略』の一部で、『魏略』は魏とその周囲の異民族を書き、『典略』は魏以外の中国のできごとも扱っているらしい。中国の文献で大秦国(ローマ帝国)に言及した最古の文献でもある。劉知幾は内容の信憑性をあまり考慮せず何もかも記載しようとしていると批判しているが、高似孫は筆力があると評価している。 『献帝記』 - 『隋書』に劉芳著とあるが、おそらく劉艾著。劉艾は後漢の人。ただし、献帝については途中までしか書かれていないらしい。 『献帝伝』 - 作者不明。『献帝記』を増補したものらしい。曹丕が献帝から禅譲を受けた際の家臣の上奏文と曹丕の返答が収録されている。禅譲の受諾を勧める上奏を何度も固辞して見せ、謙譲の徳を強調した上で初めて禅譲を実行する様が分かる。 『献帝春秋』 - 袁?著。裴松之は厳しく批判している。 『江表伝』 - 虞溥著。虞溥は東晋の人。江南の士人の伝記集。呂蒙の「呉下の阿蒙」の話など、呉全般。裴松之は、ほぼ筋道が立っていると称賛している。 『呉書』 - 韋昭著。韋昭は呉の人。陳寿の呉書は本書にかなり拠っているという。 『後漢書』 - 謝承著。謝承は呉の孫権の夫人謝氏の弟。紀伝体の後漢を扱った歴史書では、最も早く作られたという。 『山陽公載記』 - 楽資著。山陽公とは献帝のこと。裴松之が厳しく批判する文献の一つ。 『襄陽記』 - 習鑿歯著。襄陽(湖北省襄樊)の人物伝。張悌が魏の蜀漢出兵と、司馬氏の簒奪の成功を予測した話など。 『諸葛亮集』 - 陳寿編。『諸葛氏集』とも。諸葛亮の書簡・発給文書集。 『蜀記』 - 王隠著。王隠は東晋の人。蜀漢の歴史。裴松之は『蜀記』の引く話は作り話が多いと厳しく非難している。 『続漢書』 - 司馬彪著。司馬彪は、司馬懿の弟である司馬進の孫。後漢の歴史。志のみ、正史『後漢書』に付されて現存。 『晋紀』 - 干宝著。干宝は東晋の人。紀伝体で書かれた西晋の歴史。『晋記』とも。 『晋書』 - 王隠著。父の王銓から親子二代にわたる著作。王隠は東晋の著作郎。西晋の歴史。正史『晋書』とは別。同じく西晋の歴史を書こうとした虞預は、王隠の原稿を借り受け、勝手に写し取った上、王隠を陥れ免職にさせてしまった。王隠は?亮から紙筆の提供を受け、やっと完成させたという。しかし「見るべき内容は父の書いたところ(だけ)」と後世批判されている。 『晋書』 - 虞預著。虞預は東晋の人。前出の通り、王隠の著書の盗作疑惑がある。 『捜神記』 - 干宝著。志怪小説集。現在の小説とは違い、本当にあった不思議な話という姿勢で書かれている。于吉が孫策をたたり殺した話など。現存のものは後世の話が混じっている。 『世語』 - 郭頒撰の『魏晋世語』のこと。裴松之によれば、内容に多少問題があるが、たまに変わった記事があるので、よく世間で読まれており、孫盛・干宝らもこの書から多く採録している。 『曹瞞伝』 - 作者不明だが、呉の人という。曹操の悪行集といえる内容だが、後世の人にはむしろ痛快といえる逸話もある。信憑性はともかく、『演義』にも大いに取り入れられている。 『傅子』 - 傅玄著。傅玄は魏・西晋の人。思想・歴史評論。魏の記事が多い。 『辨亡論』 - 陸機著。陸機は呉・西晋の人で、陸遜の孫。父祖と故国である呉の功績を顕彰し、なぜ呉が滅んだのかを論じている。 『黙記』 - 張儼著。張儼は呉の人。諸葛亮を高く評価した評論など。諸葛亮が二度目に出したとされる出師表(後出師表)を引用しているが、これは何者かの偽作説が有力。 『零陵先賢伝』 - 作者不明。零陵(湖南省零陵県)の人物伝。劉巴が張飛を完全に無視した話など。蜀漢に厳しく、漢室復興の立場から、劉備の皇帝即位を批判している。